ColumnTAPコラム

2022.12.16

民主主義について繰り返し考え続けることの大切さ

永井 由美

TAPセンターの指導スタッフによるコラムを毎月掲載していきます。

アメリカの中間選挙が終わり、中間選挙の期間中は、各メディアでも結果がどうなるのか議論されている様子をよく目にしていました。中間選挙に関連した情報の中で衝撃的な質問と回答を見ました。それは、「Q民主主義より強いリーダーが重要」という質問でした。これに対する回答が、「重要」だと答えている人が42.4パーセント、「ある程度」と答えている人が23.4パーセント、「とても」と答えている人が10.3パーセント、「絶対に」と答えている人が8.7パーセントという回答であった。「絶対に」、「とても」と回答している数値は低いですが、「重要」と考えている人の数値は一番多かったことです。この質問と回答の数値を見た時に、私は何か危機感を感じました。このような危機感から改めて民主主義について理解をするために『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力を育む』や『民主主義とは何か』という本を読んでみました。本の中で、日本以上に貧困の格差が深刻なアメリカで、市民の間にもものすごい分断感覚や不平等感があり、「対等な市民」という感覚が薄れると、民主主義は機能しにくくなる。一人ひとりが自律することなく依存に変わっていく危険性について書かれていました。この市民一人ひとりの意識が大きな問題であるようです。ドイツの哲学者のハンナ・アーレントが『全体主義の起源』の中で、このようなことを言っています。

19世紀のヨーロッパの社会は階級社会であり、それぞれの階級からこぼれ落ちる人がいた。こぼれ落ちるというのは、苛烈な経済競争の中でその過酷さに耐えられなくなった人や社会に自分のことを認めてもらえず不満を持っている人で、それは必ずしも下層階級の人だけではなく、中間層であっても上流階級からもいた。そして、それぞれの階級から弾き出された人々が集まって、形成された群衆(モッブ)が現れる。この人たちの特徴としては、自分たちもこの社会の中でしかるべき位置をしめたかったのに、しめることができなかった。社会は自分たちを排除した。それにも関わらず民主主義の名の下に代理性民主主義で「私たちはみなさんを代表しています。」などと政治家たちは言う。嘘くさいじゃないか。こんな嘘には耐えられない。そして、この群衆はやがて代理性民主主義を破壊する方にまわっていく。こういった群衆の中から後の全体主義の指導者も現れてくる。

まさに「強いリーダー」と重なるものがあります。問題を一挙に解決してくれる「強いリーダー」を求める傾向も現れます。このような傾向は現代のアメリカだけのことではなく、世界中で似たような現象が起こっているのではないかと思います。言うことに躊躇してしまいますが、日本も大きな問題や解決しにくい問題は、その強いリーダーに解決してほしいと社会全体がただそのリーダーの出現を待っている状況になっているのではないかと感じてしまいます。このような構図は過去にも繰り返されてきた全体主義への典型的な道筋だそうです。

話を全体主義ではなく、民主主義に戻します。民主主義とはどのようなことなのか理解するために調べていくと、「頭の中で理解をしている人はいるが、それを言葉で明確に伝えることができる人は少ないだろう」や、「わかるようで分からない言葉」という文章がとても多くありました。ちょっと違う質問で、「今の日本は民主主義国家ですか?」と聞かれたら、ほとんどの人が「そうだ」と答えるでしょう。私も答えます。しかし、「民主主義とは一体何か?」と問われたらどんなことを思い浮かべるでしょう?「選挙での投票」、「公正な選挙」や「多数決」を思い浮かべる人、「人権擁護」や「弱者保護」を思い浮かべる人、「自治」や「平等」や「自由」を思い浮かべる人さまざまだと思います。色々な言葉が出てきて、一つには定まりません。民主主義という概念は欧米からきたもので、日本のように民族的に同質性が高くこれまでの歴史の中で、異なる他者との共生に関して、他の国や地域ほどに自分ごととして感じながら考えてこなかったことが、日本人の民主主義を理解しきれない理由になっているとも言っています。本当にその通りだと私も思います。日本人一人ひとりも違いはもちろんありますが、民族も違う、言語も違う、文化も違う人々が同じ場所で共生する中で共によりよい社会をつくっていこうとする経験はないです。

前述でも「今の日本は民主主義国家ですか?」と聞かれたら、ほとんどの人が「そうだ」と答えるだろうと書きましたが、今の段階で日本は制度的にみれば民主主義国家であり、18歳から投票ができ、基本的な人権や言論の自由も憲法で保証されている。しかし、自分たちが社会を作っているのだと思っている人は決して多くないと思う」と工藤さんは言っています。恥ずかしながら、私もそう思っている時は多くはないです。「強いリーダー」や「上の人が決めてください」のようになってしまっているのではないか。このような当事者意識の低さも日本の課題として上げられます。『民主主義とは何か』の中でも宇野先生も「参加を通じての当事者意識」を持つことの重要性を語っています。本の中に学校で子どもたち同士のトラブルを目の前にどのように教員として対処するかという話がありました。子どもは大人があいだに入ると大人が仲裁してくれたり、事を収めてくれたりすると考えてしまう傾向があると思います。こんなことが私も日々子どもたちを見ていても起こっているなと具体的な場面が浮かんできます。クラスで問題が起こっていても自分ごととしては考えず、先生に訴えて解決してもらおうとしてまず「先生ー」という声が教室の中で響く様子です。自分が何か行動すると自分に火の粉がふりかかることを恐れ、巻き込まれないように強い権限を持ったリーダーに事の収拾を任せる。なんだか「強いリーダー」に依存する状態と似ています。

子どもにそのようなときにどのように向き合えばよいのか、そのような子どもを目の前に大人としてどのように対処すればよいのかを教育の中で実践していかなければならない私でさえも、「強いリーダー」に解決を求めたりしてしまうことがあります。こんな風に思っている時点で、個人レベルですが、民主主義への小さなステップを踏めていないなと自覚します。

私の祖父母は戦争を体験したことがあり、子どもの時にその話を聞いてから、また過去の歴史や今まで起きてきた世界での出来事を見てくる中で、そして昨今の世界情勢を見てもやっぱりこの世界が平和な世界になってほしいという思いは更に強くなります。その平和な世界を構築していくためにも民主主義について考えていくことが非常に重要なのだということを感じました。今回のきっかけは「民主主義より強いリーダー」という言葉にどうしても危機感を感じたことからのスタートでしたが、自分の願いを実現するためにもこれからも民主主義について繰り返し考え続け、自分の仕事の中でも小さな一歩かもしれませんが、行動を起こしていこうと思いました。

参考文献

宇野重規(2020).『民主主義とは何か』. 講談社現代新書
工藤勇一・苫野一徳(2022).『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力を育む』. 英治出版
ヤン=ヴェルナー・ミュラー(2022). 民主主義のルールと精神 それはいかにして生き返るのか』(山岡由美訳). みすず書房
宇野重規. “民主主義とは何か〜2022年の視点 宇野重規東大教授の講演全文“. 東京新聞TOKYO Web. 2022.
https://www.tokyo-np.co.jp/article/184971/2 .(2022-11-12)

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